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Japanese Living Bible Galatians
ガラテヤ人への手紙(ガラテヤ教会の皆さんへ)
「……らしく」ということばがあります。 その場合、心の内側より、外面を整えようと
しがちではないでしょうか。 それは、そのほうが容易だからです。 著者パウロが生き
ていた二千年前もやはり同じでした。 ガラテヤのクリスチャンにとって、これは大きな
問題でした。彼らは規則を守り、評判のよい生活をする人が正しい人間だと、思い違いを
していたのです。 著者は自分の経験から、人は心が変われば、自然に正しい行ないがで
きることに気づいていたのです。
12伝道者パウロと、こちらにいるクリスチャン全員から、ガラテヤの諸教会の皆さんへ。
私は、どこかの団体から伝道者に任命されたのではありません。 イエス・キリストと、
彼を死人の中から復活させた父なる神から、直接任命されたのです。 3どうか、父なる
神と主イエス・キリストが、平安と祝福をあなたがたに与えてくださいますように。 4
キリスト様は、父なる神の計画どおり、私たちの罪のために死に、この悪の世界から、救
い出してくださいました。 5この神様に、すべての栄光が世々かぎりなくありますよう
に。 アーメン。
6私は、こんなにも早く、あなたがたが神様から離れていくことに驚いています。 神様
はあなたがたに、キリスト様を通して永遠のいのちを与えようと、愛と恵みをもって招い
てくださったのではありませんか。 それなのに、もうあなたがたは、別の「天国への道」
に踏み込んでいます。 そんなものは、全く天国への道からかけ離れています。 7私が
教えた道が、唯一の天国への道なのですから。 あなたがたはキリスト様に関する真理を
ゆがめ、変質させる者たちに、だまされているのです。
8私たちが伝えた救いの道以外の道を説くような者は、だれでも――この私であろうと―
―神様にのろわれるべきです。 そうです。 天から下って来た御使いであっても、永遠
にのろわれるべきです。9もう一度言います。 だれであっても、あなたがたが受けた良
い知らせとは違うものを伝えるなら、神様にのろわれるべきです。
10おわかりと思いますが、私は、甘いことばやおせじで、人の歓心を買おうとはしませ
ん。 ただ、神様に喜ばれようとしているのです。 もし私が今もなお、人の歓心を買い
たがっているのなら、キリスト様に仕える者とはなれません。
11愛する皆さん。 これは厳粛なことなのですが、私が伝えた天国への道は、単なる人
間の思いつきや夢に基づくものではありません。 12イエス・キリストから示された教
えにほかなりません。 語るべきことは、イエス・キリストが教えてくださったのです。
この方以外のだれからも、指示されたわけではありません。
13以前、ユダヤ教徒であったころの私については、よくご存じのことでしょう。 情け
容赦なくクリスチャンを追い回して迫害し、その壊滅に全力を尽くしました。 14国中
捜しても、同年輩で、私ほど熱心なユダヤ教徒はいなかったでしょう。 とにかく、古く
からある、先祖伝来のユダヤ教の規則を全部守ろうと、やっきになっていました。
15ところがその時、あることが起こったのです。 生まれる前から、私をご自分のもの
として選んでおられた神様が、驚くべき愛と恵みをもって、召し出してくださったのです。
16そして私に、神の子イエス様を示してくださいました。 それは、私にユダヤ人以外
の外国人を訪ねて、イエス様についての良い知らせを伝えさせるためです。
この体験後、私はすぐだれかに相談するようなことはしませんでした。 17私より前か
ら使徒に任命されていた人々の意見を聞くために、エルサレムに上ろうともしませんでし
た。 私は、アラビヤの荒野に出て行き、それからダマスコの町に戻ったのです。 18
ペテロに会うために、エルサレムを訪問したのは、三年後のことです。 その時、十五日
間ペテロのところに滞在しました。 19その間、ペテロのほかに会った使徒と言えば、
主の兄弟ヤコブだけです。 20〔私のことばをよく聞いてください。 実に神様の前で、
こう述べているのですから。 これは、実際に起こったことなのです。 うそではありま
せん。〕 21エルサレム訪問のあと、私はシリヤとキリキヤに出かけました。 22です
から、ユダヤのクリスチャンは、私の顔さえ知らなかったのです。 23ただ、彼らの間
には、「以前われわれの信仰をつぶそうとした敵が、今はそれを宣べ伝えている」というう
わさだけは広まっていました。 24それで、私のことで神様をほめたたえていたのです。
1それから十四年たって、私はもう一度、エルサレムに上りました。 その時はバルナバ
もいっしょで、テトスも同行させました。 2このエルサレム行きは、神様からの明確な
指示に基づいたもので、私が外国人に伝えている教えについて、エルサレムのクリスチャ
ンと話し合うのが、目的でした。 私は、教会の指導者たちと個人的に話し合いました。
それは、私の教えてきた内容を、正しく理解してもらい、また、その正統性を認めてもら
いたかったからです。 3彼らは、それを承認してくれました。 そればかりでなく、私
の仲間のテトスにも――彼は外国人であったのに――割礼(男子の生殖器の包皮を切り取
る儀式)を強要しませんでした。
4だいたいこの問題は、いわゆる「クリスチャン」の連中――ほんとうは偽クリスチャン
なのですが――さえ、もぐり込んで来なければ、生じなかったはずです。 実は、彼らは
スパイのように偵察し、私たちがキリスト・イエスを信じて得た自由がどんなものか、ま
た、はたしてユダヤ教のおきてに従っているかどうかを、探ろうとしていたのです。 奴
隷を鎖でつなぐように、彼らの規則で私たちをがんじがらめにしようと、たくらんだわけ
です。 5しかし私たちは、ほんの一時も、連中に耳を貸しませんでした。 「割礼を受
け、ユダヤ教のおきてを守ることによって救われる」などという考えで、あなたがたを混
乱させたくなかったからです。
6エルサレム教会のおもだった指導者たちも、私の宣べ伝えている内容に、何もつけ加え
たりしませんでした。〔ついでに言えば、彼らがおもだった偉い指導者であることは、問題
ではありません。 神様の前では、みな同等だからです。〕 7‐9事実、教会の柱として
知られている、ヤコブとペテロとヨハネは、外国人を救いに導くために、神様がどんなに
すばらしく、私を役立ててくださったか〔ちょうど、ユダヤ人伝道のために、ペテロが大
いに祝福され、役立てられたように〕を認めてくれました。 というのも、同一の神様が、
私たちに特別の賜物を与えてくださるからです。 彼らは、バルナバと私に握手を求めま
した。 そして、「われわれは、ユダヤ人を対象として伝道します。 あなたがたは、外国
人への伝道をそのまま続けてください」と、励ましてくれました。 10ただ一つ、貧し
い人たちを援助することをいつも忘れないように、との申し出がありましたが、そのこと
なら、私も熱心に努めてきたところです。
11ところが、そのペテロがアンテオケに来た時、非常に誤った行動をとったので、私は
面と向かって激しく非難しました。 12実は、ペテロは、初めのうち、割礼にもユダヤ
教のさまざまなおきてにも煩わされない外国人のクリスチャンと共に、食事をしていたの
です。 ところが、あとからヤコブの友人であるユダヤ人が何人かやって来ると、彼らに
とやかく言われるのを恐れて、外国人と食事をするのをやめてしまいました。 そのユダ
ヤ人たちは、おきてを守ることを重んじる形式主義者で、救われるためには割礼を受けな
ければならない、と主張していたからです。 13すると、ほかのユダヤ人クリスチャン
も、心中うしろめたさを感じるくせに、ペテロのまねをして、本心を偽った行動をし、バ
ルナバまでが、その偽りの行動に巻き込まれてしまいました。
14私はそれを見て、彼らが自分の信じていることに対して不誠実であり、福音の真理に
従っていないことを知りました。 そこで、皆の面前で、ペテロに言ったのです。 「あ
なたは生まれながらのユダヤ人なのに、もうずっと前から、ユダヤ教のおきてに束縛され
ないで生きてきたではありませんか。 そのくせ、どうして急に、ここの外国人にそれを
守らせようとするんですか。 15もちろんあなたも私も、生まれながらのユダヤ人で、
外国人のような罪人ではありません。16けれども、私たちユダヤ人クリスチャンだって、
ユダヤ教のおきてを守ることによって、神様の前で正しい者と認められたのではなく、た
だ、罪を取り除いてくださるキリスト・イエスを信じる信仰によってのみ、認められたの
ではありませんか。 だからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。 それは、
おきてによってではなく、信仰によって、神様に認められるためです。 おきてを守って
救われる人など、一人もいないのですから。」
17しかし、もし、キリスト様の救いを信じた私たちに、あとになって、それはまちがい
だった、やっぱり割礼を受け、ユダヤ教のおきてもみな守らなければ救われない、とわか
ったとしたら、どうなるでしょうか。 キリスト様を信じたおかげで、さんざんな目に会
ったことになるわけです。 しかし、私たちの主に関するかぎり、そんなことは、絶対に
ありえないのです。 18もし、前に打ちこわした方法――ユダヤ教のおきてを守ること
で救われようとする方法――をもう一度打ち建てようとするなら、むしろ、それこそ罪な
のです。 19というのは、おきてに従おうと努力しても――それは失敗以外にないので
す――神様の恵みは決して受けられないことが、聖書を読んでわかったからです。 キリ
スト様を信じてはじめて、神様に受け入れられることが、はっきりわかったのです。
20私はキリスト様と共に十字架につけられました。 もはや、私自身が生きているので
はありません。 キリスト様が、私のうちに生きておられるのです。 私のためにご自身
をささげてくださった神の子を信じた結果、今、私の体のうちには、ほんとうのいのちが
与えられています。 21私は、キリスト様の死ににはしません。 もし私たちが、ユダ
ヤ教のおきてを守ることによって救われるなら、キリスト様が死ぬ必要など、なかったは
ずですから。
1ああ、ガラテヤの皆さん。 なんと物わかりが悪いのでしょう。 いったいどんな魔術
師にだまされて、魔法にかけられたのですか。私は、十字架上で死なれたキリスト様の姿
を、絵のようにありありと目の前に示して、その死の意味をはっきりと教えたではありま
せんか。 2一つだけ聞いておきます。 あなたがたは、なぜ聖霊様をいただくことがで
きたのですか。 ユダヤ教のおきてを守ろうと努力したからですか。 もちろん、そんな
はずはありません。 キリスト様のことを聞き、その救いを信じてはじめて、聖霊様はあ
なたがたのところに来てくださったのです。 3とすると、あなたがたの頭がおかしくな
ったとしか考えられません。 信仰生活の出発点は、ユダヤ教のおきてを守ろうと努力す
る点にはありませんでした。 それなのに、どうして、もっと強いクリスチャンになるた
めに、おきてに従おうと努力するのですか。 4福音のために、あれほど多くの苦しみを
経験したあなたがたが、今は、その福音をあっさりと投げ捨ててしまうのですか。 とて
も信じられないことです。
5もう一度聞きます。 なぜ神様は、あなたがたに聖霊様の力を与え、奇蹟を見せてくだ
さったのですか。 ユダヤ教のおきてを守ろうと努力したからですか。 絶対にそうでは
ありません。 キリスト様を信じ、全くお任せしたからです。
6アブラハムも同じ経験をしました。 彼は神様の約束を信じたというだけで、天国へ入
る資格を与えられたのです。 7このことから、心から神様に信頼する人はだれでも、ア
ブラハムの真の子孫となることがわかります。
8聖書は、信仰を持った外国人が救われる、この時のことを、予告してきたのです。 神
様がずっと昔、アブラハムに、「どこの国の人であろうと、あなたのようにわたしを信頼す
る人を、祝福しよう」と宣言された時、このことを意味しておられたのです。 9そうい
うわけで、キリスト様に信頼する人はみな、アブラハムと同じ祝福をいただくのです。
10ユダヤ教のおきてに頼って救われようとする者は、神様にのろわれます。 なぜなら、
聖書には、「神の律法の書にあるおきてを一つでも破る者は、のろわれる」とはっきり書い
てあるからです。 11したがって、ユダヤ教のおきてを守ろうと努力したからといって、
だれ一人、神様の恵みを受けることはできないわけです。 なぜなら、神様の前で正しい
者と認められる道は、信仰による以外にない、と神様が言っておられるからです。 預言
者ハバククが「正しい人は信仰によって生きる」と語ったとおりです。 12この信仰に
よる道は、おきてによる道とは、なんと違うことでしょう。 おきてによる道は、おきて
を一つ残らず完全に守ることによって救われる、と教えているのですから。 13ところ
が、本来なら、私たちが自分の悪い行ないゆえに受けなければならないのろいを、キリス
ト様は、自分の身に引き受けてくださったのです。 そして、滅びる以外にない状態から、
私たちを救い出してくださいました。 なぜなら、聖書に、〔イエスが木の十字架にかけら
れたように〕「木にかけられる者はだれでも、のろわれた者である」と書いてあるからです。
14今では、神様は、アブラハムへの約束と同様の祝福を、外国人にも与えておられます。
そして、私たちはみなクリスチャンとして、この信仰によって、約束の聖霊様をお迎えで
きるのです。 15愛する皆さん。 日常生活で人間同士が約束をかわす場合でも、文書
にして署名したら、もう変更はできません。 あとになって、約束を破ることはできない
のです。
16ところで、神様は一つの約束を、アブラハムとその「子」にお与えになりました。 こ
こで「子ら」にではなく、「子」に与えられたと言われている点に、注意してください。 「子
ら」と言えば、アブラハムの子孫であるユダヤ人全部を指すことになります。 しかし、
「子」と言えば、もちろんキリスト様を意味するのです。 17私の言わんとすることは
こうです。 つまり、信仰によって救うという神様の約束――神様はそれを文書にし、署
名されました――は、その後四百三十年たって、神様が「十戒」をお与えになった時にも、
無効とされたり、変更されたりはしなかったということです。 18もしおきてによる救
いが可能であれば、それは明らかに、アブラハムが恵みを受けた方法とは別ものだとわか
ります。 アブラハムは、ただ神様の約束を信じただけなのですから。
19では、そもそもおきては、何のために与えられたのでしょうか。 それは、神様の約
束につけ加えられたものであり、おきてを破ることがどんなに罪深いことかを、人々に示
したのです。 ただし、このおきての有効期間は、その約束の指し示す「子」、すなわち、
キリスト様が来られる時まででした。 さらにこのほか、次のような点も指摘できます。
神様はおきてを、御使いたちを通してモーセにお与えになり、モーセがそれを、民に告示
したのです。 20しかしアブラハムは、約束を、御使いやモーセのような仲介者を通し
てではなく、神様から直接与えられたのです。
21とすると、神様のおきてと約束とは、互いに対立するのでしょうか。 もちろん、そ
んなことはありません。 もし私たちが、おきてによって救われることができたのであれ
ば、それで事はすんだはずです。 罪の力から逃れるための、別の道が開かれる必要など、
なかったのです。 22聖書は、私たちはみな、その罪の力に閉じ込められている、と宣
告しています。 そこから解放されるには、イエス・キリストを信じる信仰による以外に
ありません。 この脱出の道は、キリスト様を信じるすべての人に開かれています。
23キリスト様が来られるまでは、私たちはおきてに監視されていました。 やがて来ら
れる救い主を信じることができるようになるまで、いわば、保護と監督を受けていたので
す。
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